2011年秋、嵐とともに一本の大木が南伊豆・赤穂浦に流れ着きました。この大木との出会いをきっかけに私たちの古代ハワイアンカヌー「ManōKamakura号」建造プロジェクトが伊豆・松崎町でスタート。大木が浜に流れ着いたとき、その傍らに、JHCAの創始者、故タイガーエスペリの守護神であるサメ(Manō)がいた事から、このカヌーは「Manō Kamakura号」と命名しました。JHCAは鎌倉を拠点に活動し、古代ハワイアンカヌーを通じて私たち、そして次世代の自然環境への理解と関心を高め、地域コミュニティとの絆を深める事を目的に、1998年に発足し2009年に法人化。私たちはこのカヌープロジェクトを総称してカマクラ号プロジェクトと呼んでいます。ポリネシア語でカマは子供、クは昇る、そしてラは太陽を意味しつまり「日出ところの子供達」という意味です。カヌー建造に使われた大木は長さ10.7m、重さ約5トン。2012年4月、日本の原住民族であるアイヌの結城幸司さんによるアイヌの伝統儀式と、ハワイ島のクムフラ(フラダンスの巨匠)タウポウリタンガロー氏による建造と航海の安全と成功を祈願したセレモニーを執りいました。さらに6月にはハワイ島ヒロの著名なカヌービルダーであるレイ・ブーマタイさん、カラニ・カハリオウミさん、アリカ・ブーマタイさん達の指導の元建造に着手。海から流れ着いた大木は掘ってみるとまだ中が乾いていなかったため10月まで待って作業を再開。多くの方々による寄付とサポートのもと無事に10月27日(土)晴れ渡る青空の下、湘南や伊豆から集まった人々に見守られ無事に進水しました。
ポリネシアンスタイルのボヤージングカヌーを日本で建造する。2007年、ホクレア号が日本に初めて来航する10年前、タイガー・エスペリはハワイと日本、そしてポリネシアをカヌーで結ぶために鎌倉へやって来ました。彼の描いたビジョン、カヌーの建造や航海を通して自然とふれあい、生物や地球とともに生きるという重要性を知り健全な地球の未来を次世代へつなげる。彼のビジョンは私たちの夢となり、鎌倉発のボヤージングカヌーKAMA KU RA号の建造と航海のために活動しています。
1、ハワイの文化や伝統技術を学びながら古代ハワイアンカヌー「カマクラ号」を制作します。
2、Star Navigationを初めとする、航海に不可欠な海洋、天体、気象など、さまざまなことを太平洋の豊かな伝統文化に触れながら学びます。
3、みんなで木を担ぎ、ロープを引く。カヌーを操り、仲間と集う。まわりの人をケアし、助け合う心をもつ心を育てます。
4、子供たちに海や自然を体験する機会を提供し、健全な未来とよりよい自然との関係に向けて前進します。
5、北海道から本州、四国、九州、沖縄まで日本の全国各地を訪問し、数多くの港に寄港してカヌーを紹介します。
6、参加者全員で作り、海に出る。風を感じ、星を仰ぐ。自然や人とふれあい親しみます。
7、カヌーを通して、地球を大切にすることの重要さに気付きます。
1997年6月 タイガー・エスペリがJapan Hawaiian Canoe Associationを設立。鎌倉市七里ガ浜を拠点に活動を開始すると同時にタイガーの人柄に魅かれて次第にメンバーが集まってきた。その後、様々なハワイアン関連のイベントでプロジェクトを紹介した。また雑誌をはじめとする各種メディアにも取り上げられる。
1999年 タイガーが茂在寅男氏と出会う。
2005年7月 病気の為入院していたタイガーがオアフ島クイーンズホスピタルで逝去。
2007年6月 タイガーの夢の一つであったホクレア号が日本に来る事が実現。クルーの好意により彼が生前暮らした七里ケ浜に表敬訪問。
2009年6月 神奈川県によりNPO法人として認可される。
2010年10月 ホクレアクルーのチャド・コディ・オノヒ・パイション氏、ポマイ・バートルマン氏を招いてハッピーカヌーウィークエンド開催。
2011年11月 南伊豆で長さ10メートルの打ち上げられていた流木と出会う。
2011年12月 ハワイ島ヒロからフラの巨匠タウポウリ・タンガロー博士がカヌーのフラとチャントを作るという目的で来日。鎌倉および伊豆を訪れた。
2012年1月 ハワイ島からカヌービルダーのキコ・ジョンストン・キタザワ氏が来日する。
2012年4 月 ハワイ島からタウポウリ・タンガロー博士、北海道からアイヌ民族の結城幸司によりカヌー建造・航海の成功と安全を祈願したセレモニーを開催。
2012年6月 伊豆松崎町にて岡本造船所協力の元ハワイ島のカヌービルダー、レイ・ブーマタイ氏を招いてカヌー建造がスタート。木の状態が万全でなかったため作業を一時保留。
2012年10月 カヌー建造を再開する。
2012年10月27日 マノ・カマクラ号進水式!