プロサーファー、ファッションモデルとして活躍している平原颯馬(ひらはらそうま)さん。今から10年ほど前、小学校在学時に同級生とともに、地元のサーフポイントの名前を改名しようという前例のないアクションを起こし話題を呼んだ。当時のいきさつを振り返ってもらった。
平原颯馬 / 写真 横山泰介
2002年生まれ、神奈川県出身。9歳からサーフィンを始めて、15才でJPSA(日本プロサーフィン連盟)のプロ資格を取得。高校2年生からプロサーファーとしてサーキットを回る。2018年世界ジュニア選手権日本代表、カリフォルニア・ハンティントンビーチで開催されたWorld Junior Surfing Championshipで、国別団体で金メダルを獲得。2021年度サーフィン強化指定選手に選定。2020年から、タレント、モデルとしても活躍
母校の汐見台小学校から汐見台海岸へ続く歩道。みんなで落書きを消したりと、当時の思い出が詰まっている
SURFRIDER FOUNDATION JAPAN (以下SFJ ) :平原さんはプロサーファーとして活躍されていますが、サーフィンを始めたきっかけは。
小学校1年生くらいからスケボーで遊んでいたのですが、周りの友達がサーフィンをやり始めて、「自分もやろう」みたいな感じで遊び感覚でスタートしました。茅ヶ崎のパークが初体験だったと思いますが、スポンジボードでしたが全くできませんでしたね。難しいし、怖いからそんなに好きではなかったですね。でも、徐々に波に乗れるようになって、横に滑り始めたぐらいから「楽しい」と好きになりました。父がサーファーで母もボディボードをしていたことも大きかったですね。小学4年生からは本格的にのめりこんで、試合にも出るようになりました。
SFJ : 15才でプロ資格を取得したそうですね。
はい。中学を卒業して高校に入学する前のバリの大会で取得しました。プロサーファーとして本格的にツアーを回るようになったのは、高校2年生でした。元々、プロになりたいという気持ちはありましたが、そこはゴールではなく通過点。やはり、世界を目指したいと考えています。
SFJ : 今はタレントとしても活動していますね。
去年、高校を卒業したタイミングで、新しいことにもチャレンジしたいと思っていて。中学生から マネージメント会社に所属していて、ずっとオファーはあったんです。コロナ禍になり大会もキャンセルになったので、「これは逆にチャンスでもあるな」と思って、スタートしました。
平原さんは、小学4年生から新設された汐見台小学校に通うようになった一期生。学年は2クラスで50名にも満たなかったので、横のきずなが強かったと言う
SFJ : 平原さんは茅ヶ崎市の汐見台小学校を卒業していますが、2012年、4年生の時に同級生とともに、ある運動を起こしまたね。
はい。小学校の前のサーフポイントは「クソ下」という通称で呼ばれているんですが、その名前を変えようという運動です。自分達が生まれる以前の昔は、汚水が直接海へ排出されていたらしく、今でもそう呼ばれていますが、現在では下水が整備されて雨水しか流れてきません。そもそも、正式名称は「汐見台海岸」と言うんです。
SFJ : 1995年頃に排水口が整備されて、立派なウッドデッキが出来て、現在は地域の住民の方々の憩いの場になってますね。運動を起こしたきっかけは何だったんですか。
汐見台小学校は、海が間近でビーチクリーンや海ごみ問題の専門団体である「かながわ海岸美化財団」も近くにあったことから、「総合的な学習」で海の環境問題をテーマにした授業があったんです。熱心な先生がいらっしゃって、いろいろと問題を提起して、みんなで考えて取り組もうと。で、ある時、同級生達が学校の前のビーチをサーファーが「クソ下」と呼んでいるということを知って、「そんな名前、イヤだ」って声があがったんです。それで「みんなで名前を変えよう」と決めたんです。
不名誉な呼び名を喜ぶ人はいない、とは全くその通りである
SFJ : 平原さんはサーファーとして、同級生の声にどのように感じましたか。
「クソ下」という名前は地元のサーファーにとっては当たり前でしたから、一度も疑問に思ったことがありませんでした。それにサーフィン界のことも4年生ながらわかっていたので、「古くからあるポイントだし、名前に慣れ親しんでいるサーファーも多い。小学生が動いたところで、名前を変えるのは相当難しい」と思っていました。当時、学年にサーファーは僕ともう一人だけ。ですが、サーファーではない子からしたら、「変だよ。よくない。自分達の学校の前の海はちゃんとした名前にしよう」と。そんな同級生の考えを聞いていたら、客観的に考えたら確かに不名誉な名前だと思うようになりました。それで一つのプロジェクトとして、ほぼ学年全体で動き出しました。
地元の若い世代のサーファーである自分が、「汐小前」という名前を積極的に口にすることで、みんなに広めていきたいと思っている
SFJ : サーフポイントの名前の改名というのは、知る限り前例がないと思います。具体的にはどのような運動をしたのですか。
ビーチクリーンから始めました。まずは「自分達の海を綺麗にしよう」と。学校から汐見台海岸まで行く道があるんですが、落書きとかがひどくて、それを綺麗にしたり……。途中に倉庫があるんですが、そこのイタズラ書きもひどかったので、ペンキで塗り直して、魚の絵とかを描いたりましたね。やはり、海はもちろんですが、そこまでの道も綺麗にしようと。
SFJ : まずは自分達の海を綺麗にしようというのは素晴らしいですね。更に愛着がわいたのでは。
はい。どのような名前に変えるか、みんなで意見を出して、学年で投票のようなことをしました。そして、シンプルがいいという理由で「汐小前」に決まりました。そして、改名を訴えるポスターやステッカーを作って、近隣のサーフショップへ話に行ったり、「汐小前」という缶バッジも作りましたね。地元選出の国会議員の方に、僕達の行動が耳に入り賛同していただき、議員バッジと缶バッジをつけて議会に登院して応援していただいたこともありました。
「自ら考えて行動する力」「プロジェクトのゴールをみんなで真剣に考えよう」SDGsが認識される以前の時代に子供達がアクションを起こした
SFJ : 運動は卒業する前まで続けたそうですね。
小学校6年の時は、みんな集中して本気で活動していた気がします。もちろん勉強も真剣でしたけど活動をするために、みんな勉強を早く終わらせたり。で、サーファーにとって波情報配信というのはとても影響力が大きいので、自分達の思いを伝えて「汐小前」に変更していただきたいと訴えたんです。皆さん、共感していただいて、改名していただくことができました。
SFJ : それはすごい成果ですね。
はい。うれしかったです。波情報各社がオフィシャルに「汐小前」と統一していただくことで、サーファーの意識も変わるので。ですが、一度は変更して頂いたのですが、すぐに以前のポイント名が復活して「クソ下(汐小前)」と併記するようになってしまいました。昔からのポイント名に愛着があるサーファーのグループから、波情報の会社にクレームがあったと聞きました……。
SFJ : それは残念ですね……。
海はサーファーだけのものではないので、地域の方々に不快な思いをさせてはいけないと思います。とても残念な結果ですが、あの小学校の3年間の経験は素晴らしい思い出です。先生からは、大人にプレゼンするために、コミュニケーション能力を高めることの大切さを教えていただいて、それが今でも役に立っていると思います。地元サーファーとしては、若い世代の僕達が以前のポイント名を使わないようにしていくことが大切だと考えています。「今日、汐小前の方は波いいよ」とか。クチコミでどんどん広めていきたいです。
SFJ : 平原さん達の活動は、今後のモデルケースとして次世代に参考になると思います。本日はありがとうございました。
ホームブレイクの「汐小前」を眺める平原さん。この茅ヶ崎の海から、世界で活躍するプロサーファーとして羽ばたきたいと心に期している