サーファーの聖地、ノースショア、パイプラインを30年以上にわたり挑戦し続けるサーファー、脇田貴之さん。日本はもちろんハワイでも、その名声は広く知れ渡っている。この夏、脇田さんのドキュメンタリー映画『WAKITA PEAK(ワキタピーク)』が公開され、大きな話題を呼んでいる。監督の清野正孝さん、そして脇田さんに、作品に対する思いや制作の裏話について2回にわたり話をうかがった。ノースショアのサーファーのリスペクトの精神や海に対する環境への思いに耳を傾けてみたい。
脇田貴之 / 写真 横山泰介
1971年生まれ。神奈川県藤沢市出身のプロサーファー。世界で最も美しく危険な波、パイプラインに自分の名前を刻んだ唯一のサーファー。また、二児の父であり、プロサーファーの息子と娘、そして妻を含め一家全員サーファー。ハイシーズンである冬になるとハワイに拠点を移し、パイプラインに全身全霊をかける生活は、30年以上にも及ぶ
清野正孝 / 写真 横山泰介
1980年生まれ。湘南在住の映像作家。米国、Los Angeles City Collegeで映画制作を学ぶかたわら、サーフィンに魅せられる。帰国後、テレビドラマ制作会社の助監督を経て、フリーランスの映像作家へ。サーフィンの旅をテーマにしたアートフィルム作品ではブラジルのフィルムフェスで作品賞を受賞。本作『WAKITA PEAK』は初の長編作品となる
SURFRIDER FOUNDATION JAPAN (以下SFJ)
まずは清野監督に、『WAKITA PEAK』について説明していただきたいのですが。
清野 世界のサーフィンの中心であるハワイ・ノースショアのパイプラインにフォーカス、人生を注いでいる脇田貴之さんの生き方を、3ヵ月間にわたり切り取りました。その中で見えてくる、サーファーそして人としての生き方の普遍的なものを伝えるために作った映画です。
SFJ 映画を作るきっかけ、経緯を教えていただけますか?
清野 そもそも僕は映画にかかわっていて、何か究極のものを一つ作りたいなと思い、被写体を探し続けていました。WSL(World Surf League 国際的にサーフィンコンテストを主宰する組織)のライブカメラマンもやっていたので、そこで関係者を通じて脇田さんに話をしに行きました。
映画の公開情報はウェブサイトにて。https://wakitapeak.com/
SFJ 脇田さんはお話がきて、どのように思いましたか?
脇田 僕は嫌だと言いました。はっきり言って、やりたくなかったので。その前にもいろいろなテレビ局のプロデューサーの方とかが映像の話を持ってきてくれていたのですが、全部断ってきました。ノースショアは全員が顔見知りのようなすごく狭い世界で、そのような所でカメラがくっついて回るとすごく目立ってしまいます。とにかく自分が今までパイプラインで30年間やってきたモットーは、いかに目立たなくいて、でも、いい波は乗るということです。自分の性格もありますが、とにかく目立たないで、いかに角を立たずにやれるか。
SFJ なるほど、そうだったんですね。
脇田 (映画が公開されて)今は心配しています。この30年間築き上げてきたことが、一気に崩れるんじゃないかと思って。だって、(映画のタイトルになった)「WAKITA PEAK」というのはもともとは誰もいない場所に、自分だけが波を待っていて、ローカルの人達がそこの場所を説明する時に、脇田が待っている場所みたいな感じで、半分バカにしているような感じで呼んでいました。それがある年、海外のサーフィン雑誌のパイプラインの解説をする記事で、「WAKITA PEAK」と名前がつけられて説明されていたんです。「まじかこれ!」と思ったんです。その後、パイプラインマスターズのポスターの裏にも「WAKITA PEAK」と書かれたり。いずれにしても初めは、バカにされていたような中で、たまにすごい波ををメイクしたりしていて、段々と日の目を見るようになっていったんです。そういう経緯で、そう呼んでもらっていることだけで、僕的にはありがたくて信じられないことで、うれしいんです。なので、そこは大事にしたい思いは強かった。
SFJ 「WAKITA PEAK」という名前には、やはり特別な名前があるんですね。
脇田 去年、撮影して3年以上経ってから、清野君に「編集が終わりました」と言われて、それで試写会に観に行って、その時は題名は決まっていなかったんで。それがまさか『WAKITA PEAK』という題名にになるなんて思わなかった。今はインスタグラムとかでも日本語が翻訳とかできるじゃないですか。だから、僕の友達やハワイのサーファーもみんな見られるわけです。そうなると、俺的には「何かやっちゃっているな」という感じなんです。自分の名前を前に出して、それを題名にして、それでお金を儲けようとはしていないけど、そのような誤解を与えるのではないかと。
SFJ 脇田さんが考えていた作品と違っていた?
脇田 初めは、テレビ局のドキュメンタリー番組だと言われたんです。ノースショアでの生活も大変なので、出演料も小額ですがいただけるということで生活の足しになればと受けたのですが。清野君も「脇田さん、小さいハンディカムみたいなカメラを使って、僕だけ引っ付いてやるので、ぞろぞろ引きつれません」と言ってくれたので。清野君が僕を撮りたいと言ってくれた気持ちは、ありがたく思っています。ですが、この作品ができるまでの経緯をわかっていただきたく、長くなりましたがお話をさせていただきました。
SFJ 清野監督は、脇田さんの気持ちをご存知でしたか?
清野 初めてコンタクトした時は、断られたんです。僕も含めてカメラマンは、オファーをして断られることはあまりないんです。だから「えっ!?」と思って、しかも目立ちたくないという話を聞いた時に、すごいなと思って。だから、プロ用のカメラの中で一番小さい機材を制作会社に購入してもらって、いただいた条件をすべて飲もうと思いました。多分、テレビ局ではできないんです。クルーが決まっているので、映画だから一人でやれたということも逆にありますね。
脇田 初めから、映画にしようと決まっていたの?
清野 いや決まっていなかったです。僕は初めは、30分のドキュメンタリー番組に作品を持っていこうと思っていたのです。ですが、脇田さんの資料を先方に見せた時に、30分のテレビ番組ではこの人を取り上げるのは、無理じゃないですかと。映画の方がいいんじゃないかと。自分の師匠にも相談したところ、「この人は本物だと思う。映画の方がいいんじゃないか」と言われたんです。急に話が大きくなったもので、脇田さんに「すみません。映画という話になったんですけど」と相談をしました。
SFJ 撮影をされたのは、2014年と2015年の年をまたいで3ヵ月間ですよね。最初からどういう構成になるかは決まっていたんですか?
清野 まったく決まっていなかったです。最初、何となく想像するじゃないですか。けど、自分の想像の中では、ストーリーとして何が作れるかというのはまったくわからなく。そこは逆にそれでいいという思いはあって、撮影の中で自分で見つけていこうと思いました。ストーリーを作ったのは編集段階なので、撮影段階ではあえてフラットで、あるがままを撮り続けてという感じです。だから、編集で3年もかかってしまいました。
(C) Mitsuteru Kamio
SFJ その編集作業を通して、構成を決めていかれたと思うんですが、作品のコンセプトは?
清野 大きく二つあるんですが、まずはサーファーの最もコアな部分を一切損なわずに、まったくサーフィン知らな人にもわかるものにしたいと。一つはサーファーの究極の姿を伝えたい。そして好きなことを追求すると、日本だとあきらめなければいけないことが、いっぱいあると思うんです。大学を出たら辞めなきゃいけないとか、結婚したらあきらめるとか、子どもできたからそろそろ終わりだよねとか。そういうものがいっぱいある中で、自分のやりたいことをやるという脇田さんの姿の姿を通して、どうやって生きたらいいんだろうというところを、伝えたかったんです。
脇田 自分としてはやはりプロでやっている以上、この30年間の中で、すごく自分はめちゃくちゃメイクしているんです。撮影期間の3ヵ月でそれが出せるかと言ったら、コンディションにもよります。でも、やっぱり清野君がいる撮影している中でも結構すごい波をメイクしている時に清野君がいなかったこともあったんです。今シーズンも1月なんかはすごいよくて、結構すごい波をメイクした日があったんです。なので、自分としてはこの映画を観て、がんばっている感は出ているとは思うんですけど…。作品の最後が自分のワイプアウトシーンで終わったのは、「まじかよ…」という感じなんですよ。
SFJ それはどういうことですか?
脇田 僕としてはすごいがんばっている感じの中で、最後にすごい波をメイクしている映像を出してくれていれば、映画館で観ているみんなもワーっとなってくれるだろうし、それこそ、そのためにパイプラインでやっているんだというのが出てくると思うんです。作品のラストまでワイプアウトで、チャリンコに乗って終わるのは…。去年の夏に試写会を観て、この春までずっと言っていたんです。「清野君、それだけは(修正を)お願いします」と。
SFJ 自分をかっこよく見せたいとうことですか?
脇田 いや、かっこよく見せたいというよりも、(パイプラインをメイクする)ただそのためにやっているんです、僕は。映画が『WAKITA PEAK』という題名になっている時点で、はっきり言って、すごく目立つわけじゃないですか。もちろん一般の人の目線からしたら変わらないかもしれないですけど、パイプラインをやっている人からしたら変わりますからね。
SFJ 監督としては、ラストシーンには、どのような意図があったんですか?
清野 脇田さんが、あきらめずに何度も起き上がる姿がかっこいいなと思って、前に突き進む脇田さんの背中で作品を終わりたかったんです。それを観客に見てもらって、「それでも前に行くんだ」という後ろ姿が、僕のメッセージだったんです。サブタイトルに、「本当にかっこいいとはこういうことだ」にしたかったくらいなんです。
SFJ 確かに、観客にはそれが伝わっていると思います。SFJでも試写会を3回行いましたが、みんな歓声を上げていました。
脇田 そんなことないですから、パイプラインをメイクしたシーンを映画館で観たらそれはすごいと思いますよ。あのワイプアウトであれだけ迫力出ますから。ですから、その気持ちを汲んでくれたら、清野君には本当ありがとうという感じでした。何も言うことはなかった。だって、それこそ目立ちたくなかったけど、『WAKITA PEAK』という題名になって、こんなになるなんて想像もつかなかったから。清野君が俺のことを撮りたいと言ってくれた情熱もありがたいし、だから、そのシーンが入っていたら最高だったんです。
SFJ では、脇田さんが、この作品に点数をつけると何点ですか?
脇田 80点ですかね。高得点ですよ(笑)。
SFJ (笑)なるほど、ラストにパイプラインをメイクしたシーンが入っていれば、100点だったわけですね。ちなみに、監督として制作にあたり一番苦労したことは?
清野 大変だったのはいっぱいあるんですけど、実は僕は今回が初めてのノースショアだったんです。周りは全員すごいサーファーだらけの中で、脇田さんを追いかけるということ自体がすごく緊張しました。最初にカメラを向ける瞬間は何度もためらってしまいました。ずっとこれを続けるのか…、これは大変だぞ、と。島なので逃げ場がないじゃないですか。これはとんでもない所に来ちゃったなと思いました。要は、ノースショアはウォーリア達のエリアなんです。波が立つ前の晩とか、ピリピリした雰囲気がするんです。海の側のシェアハウスに滞在していたのですが、波の音は常に夜中でもゴーっと聞こえるので、滝つぼの真横で寝泊まりしている感じなんです。世界トップのサーファー達が勢ぞろいしている所に3ヵ月間いるということ自体がものすごい疲れます。脇田さんは疲れないんですか?
脇田 全然、疲れないですね。33、4年やっていて、全員知っていますから。ノースショアにいるメインの理由はパイプラインがやりたいからなので。みんなは、1ヵ月とか何週間とか、長くても2、3ヵ月しか滞在しないじゃないですか。それだと、まったくスウェルがないと、まじかよというピリピリした感じになるんです。でも、僕はずっといるので、スウェルがない時も最高なんです。逆に、体が休められるし、仕事できるし、これもいいノースショアだとなるんです。
SFJ ありがとうございます。後編でも引き続き、お話を聞かせて下さい。
取材・構成 : 佐野 崇