ダムが日本の戦後の経済成長と国の繁栄にとって多くの役割を果たしたことは事実ではあるが、21世紀に入り、ダムによって私たちが失ってきたものも明らかになってきた。ダムは川の生態系を詰まらせ、魚や野生生物の生息環境を壊し、水質を悪化させるという。中でも、長崎県東彼群川棚町に建設が予定されている石木ダムは、深刻な環境的、経済的、そして社会的な問題をもたらしている。パタゴニア日本支社長の辻井隆行、アーティスト東田トモヒロは、ダム建設阻止活動を続ける人物の一人だ。
辻井隆行 / 写真 横山泰介
米国のアウトドアアパレルブランド「パタゴニア」日本支社長。 会社員を経て、早稲田大学大学院社会科学研究科修士課程修了。1999年、パタゴニア日本支社に入社。2009年より現職に就く。2014年より、長崎県の石木ダム建設計画見直しを求める活動(ishikigawa.jp)を通じて、市民による民主主義の重要性を訴える
東田トモヒロ / 写真 横山泰介
1972年熊本生まれ、熊本市在住。ニューヨークでのレコーディングを経て2003年にメジャーデビュー。旅とサーフィンとスノーボーディングをこよなく愛し、その歌を通して「LOVE&FREEDOM」を発信し続けるシンガーソングライター
SURFRIDER FOUNDATION JAPAN (以下SFJ )
パタゴニア日本支社では、ダム建設阻止活動を支援していますよね。始まりのきっかけは何だったんでしょうか?
辻井 もちろん複合的な背景がありますが、直接的な理由だけ言うと、石木ダムの建設予定地に住んでいる住民の1人と、2014年の11月に会って詳しい話を聞いたことでしょうか。1年半に一度、環境問題に携わってる方々が30名ほど集うようなミーティングをパタゴニアが主催してやっているんですが、その時に石木ダムの建設予定地から来た女性がいて、一言めに「もうすぐ私の故郷がなくなります」と。日本では現在2800基ぐらいダムがあると言われてますが、人が住んでいる状態から強制的に力で人を排除したり、土地を収用してできたダムは実はひとつもないんです。でも、石木ダムではそれが行われようとしているという。これはきちんと掘り下げる必要がある。そう思いました。しかも、本当にたまたまなのですが、パタゴニア本社がサポートする映画『ダムネーション』を日本で公開するタイミングと重なっていた。パタゴニア創業者のイヴォン・シュイナードにはずっと「目先の売り上げより、10年後や20年後の日本の社会のために何ができるか考えろ」と言われていたこともあり、ああこのタイミングかもしれない。と思いました。
SFJ 東田さんもともに活動されてますよね?
辻井 以前から仲良くさせてもらっていたんです。彼の生まれ故郷である熊本で大きな地震が起きた時、必要な衣類を送るなど、僕たちが出来る支援についてやりとりをしていたんですが、その時に東田くんが「あのダムの話はどうなったんですか?」と聞いてくれて…。
東田 僕はその時、災害支援チーム「ハレルヤ熊本」を立ち上げていて、地元で炊き出しを行ったりしていました。でも、お腹すかせている人はいっぱいいるのに、あれはダメ、これはダメと行政から言わることも多く、いろいろと思うことがあったんです。そんな時、あのダムの話を聞いて…。そこには誰かを不幸にしてしまうかもしれないのに、何億円というお金が動こうとしている。僕の目の前にある現実とのギャップが、とても腹立たしかった。今までを振り返ってみると、自分たちの身に降りかかったことは、同じ人間の圧力で追い込まれていくことがほとんど。それをどっかで断ち切らないと。熊本で起きた地震をきっかけに、自分たちからまず変わっていこうって。そんな話をいつもしていましたね。それで、もし僕に協力できることがあれば、と辻井さんとお話ししたんです。
辻井 そして、10月30日に「WTK(WITNESS TO KOUBARU)」というコンセプトを立て、石木ダム建設予定地でイベントを開催しました。ダム反対の集会ではなく、食と音楽、そしてその場所の美しさを感じ取ってもらえればいいなという思いでした。東田くんが声をかけてくれ、多くのミュージシャンも集まってくれました。ロバート・ハリスさんも来て、メッセージを発信してくれたのも嬉しかったですね。僕たちとしては、賛成とか反対とかを押しつけるんじゃなくて、自分達で見て感じて、この場所を本当に沈めるっていう大義がダム計画にあるかどうかを考えてほしい。その結果、多くの参加者に、“もう1回きちんとした形で公開の場で議論してください”という請願書に署名してもらいました。WTKが終わったあとに、第三者である楽天リサーチさんに頼んで世論調査をやってみたんです。石木ダムについての必要性を県や市は十分に説明したと思いますかという項目には、79%の人が不十分だと答えていました。何世代もそこに住んでる人にとって、故郷での暮らしは人生そのもの。それを奪われるって命を取られるのと同じことですよね。僕たちができることは、もちろんそういうことにシンパシーを持つこともですが、話し合いの場を作ったり、人と人を繋げることで、できるだけ大勢の人に関心を持ってもらうこと。決して失望の種は撒いちゃいけなくて、希望の種を撒き続けなきゃいけない。環境保護って、そういうことだと思うんです。
日本の原風景が残る自然豊かな里山で、フェスは開催された。 Photo / SFJ代表 中川 淳
東田 不自然なものほどよく壊れてるなって、僕は地震のあと思ったんです。それは辻井さんの話していた通り、未来への分岐点だと思います。電気やエネルギーにしてもそうなんですけど、人工物を作っていく時って、自然はどうしていきたいのか? この地形は何を求めてる? などと、考えをシフトしていく方がいいと思うんです。
辻井 そうだね。実際、石木川は川幅も少なく、流量も少ない。ダムの目的はおもに隣市である佐世保市のための水の確保と、石木川の本流である川棚川上流の治水となっています。しかし、人口の減少や節水型機器の普及など水の需要は著しく減少しており、事業主が提示する将来の水需要予想はとても科学的とは言えないのが現実なんです。しかも、石木ダムの計画が持ち上がったのは1962年で、すでに計画から50年以上が経過。いくら2013年に国による事業認定の告示があったとはいっても、このダムの必要性に関する議論はまだまだ足りてないという気がずっとしていました。
SFJ とはいえ、彼らの声を市議会などにしっかり通さなければ、変化は難しいような気もしますよね。
辻井 そうですね。実は今回の件を知るきっかけになったパタゴニアのミーティングは、環境問題をうまく解決したり、メンバー同士の良い協働関係を作るための方法をみんなで勉強する、という意味合いを持っています。例えば、環境問題に取り組んでいる方は思いが強すぎて、時に伝える方法が適切じゃない場合もあります。駅で配布するチラシひとつにしても、思いが溢れてびっしり書かれたものは、そのことを知らない通勤途中の人には逆に避けられてしまう。そこで、マーケティングのプロに、人の興味を引きつけるチラシを作るためのワークショップをやっていただいたり、他にも、効率的に寄付を集める方法、組織運営に関してなど、環境問題を解決するためのさまざまなことを学ぶ場にもなっています。苦しんでる人達を生んでいる環境問題がある中で、何かを変えていく。その時には、彼らの思いをただ強く発言するのではなく、さまざまなツールを活用しながら、相手の立場も考慮して、建設的に物事を進めることも大事だと思います。
東田 熊本でやっている有機農家のフェスも、大きなイベントになるにつれ、行政が関心を持つようになりました。最近では副知事さんが顔を出してくれるほどです。そこでやっと、彼らと対等に話せる関係になって、自分たちの思いを直接的に伝えることができる。何かを変えるチャンスをつかめる。つまりは、そういうことですよね。
辻井 うん。WTKに参加してくれた年配の方が、「フェスをやって何の意味があるんだ。ダムの闘争はそんな甘いもんじゃないと思ってた。でも、人に知らせるにはこういう方法もあるんですね」とおっしゃっていました。同時に、ホワイトボードには、「緑、緑、生き残れ」とつたない字で子供たちが書いたメッセージもあった。ダムなんかに負けないで、みんな牛も、畑も生き残れ! と。その思いには涙がこぼれました。
未来を担う子供達は、何を感じ取ったのだろうか? Photo / SFJ代表 中川 淳
東田 どんなに権力がある人でもみんな人間だから、誰もが同じように保育園、小学校、中学校と学んでいくわけですよね。そこで、親や大人とのコミュニケーションを通して、「それってカッコいいのかな? 果たして自然や環境が喜ぶのかな?」と、どんな立場の仕事でも、自然環境について考えられる社会になってほしいなと思います。地球にとっての川を人間に例えると、きっと血液というか血管で、本当は簡単に止めたり、手を加えたりするところではないはず。それを教えてくれたのは、僕が20代からやっているサーフィンだったんですが、このダムの話にも同じことを思いました。
辻井 僕が『ダムネーション』を見て一番衝撃だったシーンのひとつは、ダムができて、遡上できる通り道がなくなった場所にも鮭は毎年帰ってきて、100年もの間、それでも川を遡ろうとコンクリートに頭をぶつけ続けていたというエピソードでした。そしてダムを壊した翌年には、ダムがあったときの100倍以上もの鮭が遡上した。自然は戻るんです、勝手に。だけど、石木ダムのケースで言えば、その地に住む人々の人生は一回しかないし、一度絶たれた絆を取り戻すことは簡単ではない。普通だったら、好きなことをやって60歳で定年してやりたいこともまだいっぱいあるのに、彼らは何年間もほぼ毎日朝から夜までダムの反対運動をしているんです。だから、「職業何ですか」って聞かれると、「ダム反対です」と。そういうギリギリの状況の中で、「よかったね、仕事あって」とかいって笑いながらお酒を飲んだりしてるんです、みんな。そういう姿があまりにも不幸だし、本当に力になりたいと思いました。今回、話をさせて頂いた石木ダムのことは、どうしてそんな遠くのことをやっているんですかとよく聞かれるんですが、僕の場合、そこの人たちを知ってしまったこともあるし、同時に、この問題が長崎県の小さな集落だけの話だとも思っていないんです。
SFJ 石木ダムの問題は長崎県の小さな集落の問題だけではない?
辻井 はい。今起きていることを知れば知るほど、石木ダムの問題に正面から目を向けることは、日本の未来を本当に考えることに繋がると感じています。多額の税金が投入されるのに市民にはその背景がきちんと伝えられていない・・・時代が変わっても一度決めたことだから取り敢えず実行する・・・都市部に住む人々が便利になるためには辺境の地に住む誰かが犠牲になるのは仕方がない・・・そういった考え方など、すべてを含めて、あの場所がどうなっていくのかということに、日本の未来の作り方がオーバーラップしている感じが個人的にはあるんです。だからこそ、本当により多くの人の幸せに繋がる形での結論の出し方を期待しています。機会があればいろんな情報を見て、何かの形で見守ってもらえるとありがたいです。
私たち大人が出来ることは、希望の種を撒き続けること。 Photo / SFJ代表 中川 淳
取材・構成 : 佐野 崇