New!!INTERVIW vol. 47 佐藤魁

 2024年、11月のはじめ、鵠沼海岸で開催された「CARNIVAL 湘南」において、数年前から修業を重ねたヨガの講師として、初めてのワークショップを開いたプロサーファー、佐藤魁さん。クラスのあとに時間をいただき話を聞くと、俳優としてテラスハウスに出演していた20歳のはじめから、27歳(イベント当日)の今に至り、大きく変化した自分を語ってくれた。その瞳には、何かを吹っ切れたような清々しさがあり、同時に自分自身の源となる存在を見つけた確信のようなものが宿っていた。
それから数日の後、佐藤さんのもとに『VANS Pipe Masters』のインビテーションが届いた。出場選手は招待制で、半分はハワイアン、半分はインターナショナルのサーファーからなる、男子40名、女子20名の大会。今回、日本人としては、唯一招待された。子供の頃から通っていたノースショア、パイプラインでの選ばれしサーファーたちが集う大会は、彼にとってどんな意味があったのだろうか。ラウンド3では、最高点、30点中の27.7ポイントを打ち出すチューブライディングを見せ、ビーチから大きな歓声が上がった。バレルから飛び出した後の力の抜けた身のこなしに、先日語った言葉がうっすらと重なった。

「魁-さきがけ」と書いて、ガイと読む。自然と寄り添うだけでなく、その軸がしっかりと自然の一部としてそっちサイドにいる「人間」。風のようで、陽射しのようで、素朴であり、しなやかで寛容。環境問題については、どうしても起こっている事象として受け止めてしまいがちだが、彼自身が環境を映す繊細な存在のよう。自然を忘れつつあった人間社会に、レイドバックを導く「先駆け」のような人物。ヨガに出会い、自らの奥を深めることで、パズルのかけらがはまってゆき、一つの絵が浮かび上がった。サーフィンからヨガ、そして人生まで、今思うことを聞いてみた。

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佐藤魁/写真 横山泰介

1996年11月17日生まれ。神奈川県出身。5歳からサーフィンを始め、7歳の頃から大会に出場。
また、幼少期より始めていた水泳は、ジュニアオリンピックの候補となるほどの力量だった。10代からプロサーファーとして活躍する傍ら、2017年2月から8月まで、テレビ番組「テラスハウス」に出演。同年4月に、バリ島クラマスで開催された「JPSAジャパンプロサーフィンツアー2017開幕戦」で初優勝を遂げる。2018年には、俳優として映画『ハナレイ・ベイ』に出演。
2020年のオリンピック指定強化選手に選出される。現在に至るまで、国内外のコンテストで活躍。2024年『VANS Pipe Masters』では、40人中17位という結果を残す。

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オアフ島ノースショアのフィールドを守る『Da Hui』が、1975年の結成以来開催している歴史あるコンテスト「Da Hui Backdoor Shootout/ダ・フイ・バックドア・シュートアウト」に、ここ数年参戦。今年1月の活躍が注目され、12月の『VANS Pipe Masters』への招待を受けたとも言われる。

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初めてのヨガワークショプに、少々戸惑いを見せながらも、丁寧にポーズを説明していく。誰もが出来る簡単な動きを続けたのち、最終的には難易度の高い逆立ちの技まで。「これは、続けていくとできるようになります」と穏やかな口調で語る。そんな信念からの言葉を聞くと、不可能に思える難しいポーズもいつか叶う気がするのが不思議だ。

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ワークショプが終わったあとマイクを渡され、ヨガについて語った。
「続けていくと、自分の中の正解がでてくると思います。僕がやったやり方もあるし、それぞれで落ち着くやり方もあるのと思います。大切なのは、続けて呼吸をしたりすること。『呼吸』というのが僕は好きで。日常の中でまわりが騒がしく、自分の呼吸を聞くのを忘れてしまうことも多いので、『呼吸』をすれば外の要因をすべてなくしていくことができるので自分もやっています。今日やった中で、少しでも好きな動きや呼吸法があったら続けてみてください。あと僕のサーフィンを応援してください。お願いします」。

SFJ:サーフィンをはじめたきっかけは?

母も父もサーフィン好きで、いつのまにかサーフィンをやっていたという感覚です。
小さい頃から、サーフィンと並行して水泳もやっていて。朝練、夕練の後、夕方サーフィンというように、ひたすら水の中にいました。もともと喘息があって、お医者さんに水泳を勧められ、始めたら少しずつ良くなって、そのまま小学校から中学に行くくらいまでなると、ジュニアオリンピックに出られるくらいにまでなって。水泳のコーチに、「君は水泳でいいところにいけるぞ」と言われたけれど、ちっちゃいながらに、サーフィンのほうがいいなと思って。

SFJ:プロサーファーになったのは?

中学2年のときにプロサーファーになりました。そこからは、サーフィン一色。ちょっと変わった家族だったので、いい意味でも悪い意味でも、サーフィン一だけに。

SFJ:その後、芸能の世界へと?

芸能は、「星回りだった」と今は思っています。二十歳(はたち)くらいのときに、「サーフィンだけでは、めしくえないから」って言う(湯川)正人(*1)くんのプッシュで、番組に出ることに。正人くんも、今ではあんなに活躍しているけれど、以前はバイトしながらプロサーファーをやっている時代もあって。僕も一緒にバイトしてたけど、苦労していて。たまたま正人くんが、テラスハウスに出た後くらいかな、「ガイお前もやってみろ」と。サーフィンばっかりやっていて、ある意味、社会に出るのが早く、若いながらにどうしたら食っていけるだろうと言うことを、周りより早く考えるようになっていたので、とりあえず、「名前入れてみるか」って思い、オーディションに行ったという感じです。そうしたらたまたま受かってしまって、ぐんぐんって知名度があがって、わけがわからなくなってしまった。

今は芸能活動はしていなくて。根本的に表に出るのがそれほど好きじゃなかったんだな、と思います。プッシュしてくれる周りのサポートもありましたが、それをうまく拾える性格でもなかった。導いてくださる方もなかなか見つけられず、いまも事務所には入っているんですけど、それよりももっとやりたいことがあって。

SFJ:今はどんなことをやりたいのでしょうか?

ちょっとした幸せが好きで。ヨガを人に伝えていくこともそうです。僕にしかない感覚があって、その感覚に忠実に心の声を聞いている時が好きなので。なんだろう、たとえば小さいことですが、家族でチャイ屋さん始めたりして、それをこういうイベントで一杯でも売ることができたら。そんな小さなことで幸せなんです。

サーフィンに関しては、でかい波やチューブが好きで。なぜかそこには忠実に欲があるので、そういう自分の心の声が聞こえなくならないようにしたいなっていうのがあります。何を求めていて、何をしたいのかという、自分の声を。

SFJ:体の故障からヨガの世界に入ったということですが、その話を聞かせてもらえますか?

サーフィンの怪我をきっかけにヨガに出会ったのですが、たまたまディープな先生に教えてもらって、講師の資格も取ったのですが、教えたことがなかったので、今回はサーフライダーファウンデーションの中川さんに声を掛けてもらって、いきなりこんな大きな会場でやることになり(笑)。とりあえずやってきたことしかできないなっという思いで、やらせてもらいました。自分を表現するのが、すごく苦手なんです。でも、今の僕の中の課題が「愛と勇気」なので、こういった形で自分を表現することで、「勇気をプッシュする」という感じでした。

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SFJ:ヨガはいつから始めたのですか?

23、4歳の頃から、4年くらいやっていました。熊本に住むカナダ人の先生に教えてもらったのですが、一時期、住み込みで修業していた時もありました。その間もサーフィンは欠かすことなくやっていました。古典的なヨガの先生で、今日のイベントでやっていたヨガとはかけ離れた、もっと深いものでした。抜粋して30分でできる範囲にまとめたのですが。もともと続けることが苦手だし、ヨガはルールや掟もあって厳しく、そこからしばらく離れた時期もありました。

SFJ:サーフィンにとって、ヨガは大切でしょうか?

直接的につながるかは、模索中なんですけれど。いまやったことが、すぐ何かになるわけではなくて、「あのときのあの呼吸が、このときにつながっている」というような感覚。ちょっ表現が変ですが。「すぐには現れないけれど、いつのまにか、いつもと視野が変わっている」といった感覚がヨガにはあると思います。ヨガとサーフィンとインドの紅茶が好きで、ヨガの練習の後に飲むと、スパイスが体に効くのが良い。僕のミッションが「行動」なので、今はちょっと興味本位ではあるのですが、それを表現してみたいなって思っています。この前もイベントに誘ってもらって、チャイを出してみたという段階です。

SFJ:環境活動(*2)については、何か思うことはありますか?

コロナ禍に、農業にちょっと入ったんですよね。無農薬、オーガニックで育てたりする、ブラウンズフィールド(*3) というところに。そこはただの農業ではなくて、仕事が暮らしで、暮らしが仕事というコンセプトで。環境に関する取り組みが、ほんとうにもうこの(SFJの)イベントの究極みたいな人たちがいて。排泄物も肥料に変えていく。食べたカスも土に変えて循環させていく。そういう暮らしをコロナ禍の時期に半年ほどやっていました。

SFJ:農業に興味をもったきっかけは?

コロナ禍で、スポンサーからの収入がなくなってしまって。千葉でひとりで暮らしていたときに、どうやって暮らしていくか考えて。少なからず、コンペのシーンでオリンピックを目指していた時期もあったので。「自分で生きていけたらいいな」という思いもあり、たまたま、ルームシェアして住んでいた男の子が、こういう所があるよって教えてくれて。ウーフ(*4)みたいなシステムで、働いた分、飯を食わしてもらえる。(2019年ころ)そういう暮らしをしました。でもオリンピックを目指していたらそんなことやってないですよね。そういう矛盾もありました。

SFJ:ある意味、「現代社会」から、一歩先にいったという感じですね。農業やヨガを通して、すぐにはものにならないけれど、いつかどこかで繋がるということが、自分の中で腑に落ちてしまった、という感じなのでしょうか?

もともと、僕は人よりもペースが遅くて、成長の度合いとか。多くの人にとっての普通が自分に当てはまらないことが、子供の頃から多く。根本的に物事をきちんと考えることも苦手で、人と繋がる感覚というのも知らなくて、でもサーフィンだけひたすら続けていたんです。それなりに頑張った結果も出たりはしたけれど、大会でなかなか勝てず。そこ(コンテストシーン)では僕はもう難しいんじゃないかなと思いつつも、矛盾と葛藤しながら続けてきた。そして今があるんですけど。今は少しずつ、自分を表現することで、勇気出して、そこに面白さがあってやっている。そういったことを、今になって勉強しているんでしょうね。

SFJ:サーフィンの世界では上手くいっていたんですよね?

それ以前は感覚的には上手く行っていたんですけど、どこか、身体と精神が分離している状態だったように思います。多分そういうこともあって、ヨガにはいつの間にか引き寄せられたのかもしれません。

SFJ:ヨガをやってみて、気づきがあったのでしょうか?

周りの人の言葉から気づきや人と繋がるという感覚が生まれたと思います。今は子供が生まれて、子供から学ぶことがあります。子供の頃の自分の欠けていた所を、反対の立場になって親の目線で見られるようになったり。これも勉強というか。でも自分にとってそれが必要だったから、そうなっているのかもしれない。お父さんという立場で子供を見るという感覚は、多分、欲していたのかもしれないです。なんか子供がすごく可愛くて、幸せですね。

SFJ:お子さんをもたれて、環境に対して、次世代に思うことはありますか?

環境について、本質のような部分を勉強もしてきていないので、わからないのですけれど。今回のイベントで開催された(『環境団代が見つめるビジョンは』という)トークセッションに、LUKE(*5)という友達が登壇していて聞いてきたのですが。すごく頭が良く、発言もできて、色々な業界のトップの方達とも会っている彼の話を聞いていて、なんか言っていることが僕と紙一重で、あまり変わらないかなって思ったんです。「人は海に入って、ほんとに自然を感じてみるべきだ」ということ。ルークが、全く違うアプローチでそれが一周して、同じところにたどり着いているのを見て気づきました。もしかしたら、伝えることは難しくないのかなって。たとえば大きな団体や社会のトップにいる人が実際に海に入って、自然の凄さを解らされる体験をしてみたら。僕らみたいに自然に身を投じて危険な目にあうような感覚を経験したら、どういう起爆剤となるのだろうと思いました。正直、僕に言えることはないのかもしれませんが。僕が何をしているのかっていうと、農業で学んだことしかしていないし。でも、少しでも一人一人が行えば、もちろん変わるかもしれないし。

環境に関しては、そんな感じです。自然への感謝というのは、人一倍あるので、それは自分が表現をして、人々に伝えていくことができるかな。ヨガを通してできればいいですね。たとえば、今日、ヨガの最後に、司会の方が質問してくれて、話す機会があったんですが、自分が表現者としてその時に何を伝えることができるか。

SFJ:佐藤さんの知名度、サーファーとしても有名だし、人の目が向いているというのは確かです。きっと今ある立場を使ってできることがあるのでしょうね?

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向いているということは、きっと「お前は、何かを伝えたり、何かできることがある」って言われていることなのかもしれませんね。二十歳(はたち)のとき、あんなに名前がボワっとどっかにいっちゃって、なんで僕こんなことになってるんだろうって。今思うと、なにかを伝えたり、表現したり、今世のミッションのようなものを模索しているような感じでした。こういう(Carnival湘南のような)イベントを通して、また学びがある。いいものをいいと思ったり、悪いものを、ああ、そうなんだなって見れたり。

宮崎駿さんのムービーの世界観ではないけど、あしたかの「曇りなき眼」(*6)みたいでなんか面白いですね。真実の目で物事を見る。ヨガでいうと、ダルシャン。僕はそんなものは持っていないのですけど、そういうものがあるというのは確かだと思うので伝えたい。実は子供たちのほうが、もっと真実で見れていると思うんですけど。

SFJ:今回、撮影を担当しているカメラマン、横山泰介さんが、21歳のころに取材をした時と、かなり印象が変わったと言っています。この5、6年の経験は大きかったのでしょうか?

ヨガの修業が深かったなって思います。そのとき学んだことが、また物質世界に戻ってきて、違うものに見えたりして。カナダ人のヨガの先生は、だいぶディープで。かなり忠実にヨガのルールに従って生きている人で。ある意味、偏っていて怖いところもあり、僕も離れてみたり、また近づいてみたりしました。10代の頃に大きな怪我をして。沖縄でワイプアウトした時に岩に飛び降りて、ヘルニアになってしまい。コンテスト的にはパフォーマンスはできるけれど、上手く動かないという状態が続いていました。ヨガを始めたきっかけは、怪我のケアをできるようになりたいというのが一番大きかったです。それまで試合が全部だと思っていたけれど、なんとかサーフィンに食らいつきたいと思って。なんとなくいろいろ苦労して、一時期は自分はなんの意味もないと思ってしまう時期もあったんですけど、今は伝えられることがあると思うんです。怪我の直し方とか呼吸法とか、ひとつだけじゃないですが。一応、意味があってここにいるのかなって思えるようになりました。

SFJ:「今やったことが、すぐに何かになるわけではない」という、自然界の原理のような気づき。まさに現代社会の時間軸や物質優先の社会とは逆行するようでいて、本質をとらえているお話だったと思います。佐藤さんの活動から伝わって、何かが広がることを楽しみにしています。ありがとうございました。

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*1 湯川正人 1992年生まれ。プロサーファー。クリエイティブディレクターであり、DJとしても活躍。世界中を飛び周りプロのフリーサーファーとして多くのメディアで活躍。
*2 環境活動 エコ(環境)活動とは、地球環境を保全するための取り組みのこと。 この活動によって、地球環境への負荷を減らし、持続可能な未来へとつなげることが目的。
*3ブラウンフィールド https://brownsfield-jp.com
*4ウーフ(WWOOF)とは、World Wide Opportunities on Organic Farmsの頭文字からきており、 農場で、労働力の代わりに食事や宿泊場所、知識、経験を提供してもらうボランティアシステム。
*5LUKE NPO法人UMINARI代表理事。コミュニティカフェ「umi」共同代表。世界経済フォーラムExpert Network Member。大学3年次に、海洋環境保護に取り組むNPOを設立。以来7年間に渡り、自然と人の豊かさを軸に活動を行う。
*6「曇りなき眼」『もののけ姫』の中のアシタカの言葉。 自分の呪いの真相を見極めるために、先入観や偏見を持たないで物事を見る眼のこと。 またそれは自分の運命に向き合うという誓いでもある。

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