文 井澤 聡朗 / 写真 市川 紀元
昨年夏、僕らのもとに、とんでもない情報が飛び込んできた。ことの発端は、新聞に掲載されたある記事だった。そこには逗子市・小坪の逗子マリーナの敷地に130mの高層ホテルが建つという刺激的な見出しが躍っていた。記事は、2020年に開催される東京オリンピック・パラリンピックのセーリング競技の会場が江ノ島に決定したことを受け、小坪一帯を開発し、出場選手や大会関係者のための宿泊施設やヨット係留用の防波堤などの建設計画があることを、まことしやかに伝えていた。その内容は、マリーナに建つ高層ビルのイラストと共に、またたく間にネット上に拡散し、半ば暴露というカタチで衆目にさらされる。ただちに、「小坪の環境を守ろう!」と地域住民やサーファーたち有志が立ち上がり、全国的な署名活動を展開。当初マリーナ・サイドはクローズドな説明会を招集したりしながら、「現在は、あくまでも机上の計画で、公的機関から正式なオファーがあれば具体的に進めたい」旨を地域住民に伝え、「決定前に計画が不用意に外部に流出してしまったこと」について陳謝したりする場面もあった。あれからおよそ半年の間に、オピニオン・リーダー的人物が、ラジオ番組等でこの計画の正当性を訴えるなど小さな動きはあったものの、未だおもてだった動きもなく、一見、何事もないような静かな様相を呈しているが、水面下では県や市の思惑も含め何かが蠢いている、そんな不気味な空気がつねに漂っており、一部の地域住民や、ここを愛するサーファーたちは不安な日々を送っている。
小坪は、逗子の入り江の片隅にひっそりと横たわる静かな漁師町だ。その小さな磯にはさまざまな海の幸が棲息し、豊かな漁場として守られてきた。さらにその岬の先には、日本を代表する素晴らしいリーフブレークが存在し、その波は、長年サーファーたちを魅了し続けてきた。今、その豊かな自然と波が、開発という名のもとに消滅するかもしれない・・・少なくともサーファーたちにはその危機意識が完全にすり込まれてしまった。仮にそれが当局のフライングであったとしても、小坪を愛する人々の不安をいたずらに煽ってしまったことは事実だ。
かつて東京オリンピックでは、高度成長という大義名分の下、怒濤の勢いで進められた都市開発によって、経済的豊かさと安定した生活が人々にもたらされた、と言われている。1964年、すでに半世紀も以前の話だ。もしもその価値観と同様の論理で2020年を捉えるならば、それはきわめて愚かな行為だと言わざるを得ない。今、21世紀という時代。経済的発展という大義名分によって、人間が犯してきた取り返しのつかない事例は、すでに数えあげればきりがない。サーファーたちは、一度傷ついた自然や波が二度と蘇生できないということも、さまざまな事例をもとに体験的に学習してきた。今や自然との共存は、経済的発展を支えるひとつの重要な哲学だという認識が、地球規模では一般的になりつつあるという。その事実を確かに把握し、環境破壊を生まない新しい開発コンセプトを、僕らサーファー・サイドからも提案していくスタンスが、今や必要になってきているのかもしれない。
今回の小坪開発に絡むもろもろの動きは、僕らサーファーが、取り返しのつかない喪失感とつねに隣り合わせなのだという厳然たる事実を、あらためて気づかせてくれた。今、小坪の海の水面下で何が起きているのかは、実のところ分からない。しかしここが、カリフォルニアのダナ・ポイントや鴨川の赤堤と同様の状況にならないよう、この一件に、ポジティブな意識と発想で関わっていく姿勢こそが、今、僕らサーファーに、求められていることだけは確かなようだ。
この原稿は、2015年12月発売の「ザ・サーファーズ・ジャーナル日本版」5.5号に掲載されたものを、一部加筆変更したものです。